講演と思いきや、そのほとんどがワトソンとクリックを題材にした過去の映画「Life Story 」の鑑賞会で、ワトソンはすでに84歳、最初と最後にちょろっとお話をしてくれただけでした。
ジェームズ・ワトソン はアメリカ出身、15歳でシカゴ大学に入学、22歳で博士号を取得。DNAに着目しイギリスの研究所で、フランシス・クリック と出会い共同研究を開始。ライバルとの熾烈な競争の末、1953年、DNA二重らせん構造のモデルを雑誌ネイチャーに発表し、1962年に34歳でノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
その映画では、ワトソン、クリックと、ライバル達とのえげつない競争が描かれていて興味深かったです。まず驚いたのは、情報戦。インターネットなどない世の中なので、情報交換が閉鎖的で、何とかして他の研究者のデータを教えてもらったり、ひどい時は盗み見したり、、
ライバルの、ロザリンド・フランクリン と、モーリス・ウィルキンス が重要な登場人物で、フランクリンはユダヤ系イギリス人の女性研究者で、彼女のX線回折が、最も核心的なデータだったんですが、当時の男尊女卑なイギリス科学界において、彼女は上司のウィルキンスと衝突を繰り返しており、そのデータが生かされることがなく、しかもウィルキンスが彼女のデータを密かにワトソンに見せたことにより、ワトソンらがDNA構造の解明を果たすこととなります。彼女はあまり日の目を見ることはなく、ノーベル賞の4年前に37歳の若さで卵巣癌でこの世を去っています。
今も昔も、研究は情報戦。自分の頭の中だけで解明できる真理など何もなく、多くの発見や発明は、既知のデータの組み合わせから生み出されるものですね。
もう一つおもしろかったのは、受賞理由となった彼らのネイチャーの論文は、実証データなしのDNA構造モデルの提案だけだったということ。てっきり、現在のネイチャー論文のように、いろんな実験をしてそのデータの裏付けのもと仮説を導いたのだと思っていましたが、ワトソンとクリックは、他の研究者から何とか教えてもらった情報や、盗み見したデータを元に、モデルを提案しただけで、自分たちで実証していないんですね。受賞理由となったその論文 は、1ページ余り(900語程度)の短いものでした。
しかし、情報を結合して何を導くかが科学者の力量であることは間違いではありません。アナログに紙や棒なんかで塩基の模型を作って、それらを組み合わせたりして、DNAの三次元的構造を考えぬく描写は、何でもデジタルなデバイス上で考える現代と比べて、なんか逆にカッコ良かったです。
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